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婿養子で3児の父でドラマーのあぶない婿殿です。
さて突然ですが、お金は好きですか?
僕はもちろん大好きです!
お金があればいろんな経験・体験ができますからね。
でも、こんなに好きなのになかなか振り向いてもらえないんですよね…
思うに、好きなんだけどお金を喜ばせたりする事がまだできていないから、なのかもしれません。
女性に対しても、好きという気持ちを持っているだけでは振り向いてもらえませんよね?
会話したり食事したり、相手を楽しませたり喜ばせたりするから、こちらに興味を持ってもらえるのではないかと思います。
…さて、本題に戻ります。
Contents
もはや、幸せ=たくさんの収入 ではない
貴方にとって、収入はどれくらいあれば幸せですか?
と、いきなり哲学的な問いかけですが、僕はこれを結構深く考えたことがあります。
自分に必要な収入がわからないと、お金に対する欲はとどまるところを知りません。
しかし自分に必要な収入を把握しておけば、他人と比較することもなくなりますし、目標もはっきりさせることができます。
一度深く考えてみてはどうでしょうか。
どちらが本当に幸せなのかは、人それぞれ。
例を出してみます。
- 貴方は、年収1000万!
- 早朝に家を出て、帰宅は日付変更するかしないか。土日祝は休みだけど、仕事関係のメールなどがバンバン入ってきます。
- 365日のうち、本当に丸一日体も気も休めるのは10日あるか無いか。
- 年収は300万!
- 仕事はそれなりに大変で辛い時もある。
- 定時出社・定時退社、土日祝・お盆・年末年始が休みで残業もあまりない。
- 休みの日は好きなことをして友人や家族と過ごす。
あえて極端な感じの例にしていますが、さあ、貴方にとってどちらが幸せですか?
「絶対Aの方が幸せでしょ」
と思う人もいれば
「いやー、どうみてもBのほうが楽しそうだなあ」
と考える人もいるでしょう。
この選択に正解はありません。
なぜなら、幸せの基準は人によって大きく異なるからです。
まあ、年収1000万でバッチリ週休二日で早出残業もなく、休日は仕事の事は忘れられるのが幸せ、という人もいますね。
でもそんなオイシイとこ取りな現実は、会社勤めではかなり難しそうです。
お金は自分が幸せになるための手段
で、お金イコール幸せなのか。
これを掘り下げて考えてみたんですね。
その結果、僕にとってはお金がたくさんある事が幸せではないという結論が出ました。
僕にとっての幸せは、「自由である事」なんです。
そして自由であるためには、ある程度のお金が必要です。
僕は、自分が好きな時に好きなだけ働き、休みたい時は休みたいだけ休む。
だいぶザックリとした言い方ですが、これが僕にとっての自由です。
事実、僕は思い悩んだり苦しい時に、自分が手に入れたいもの、目指していることなどをノートにメモるんですが、まあ色々なノートの至る所に
「自由を手に入れる」
と書いてあります笑
だから、僕にとっての幸せは「自由であること」で間違いないんでしょう。
…「そんなん甘いよ」という批判が聞こえてきました。
ただ、自分の幸せが何なのかを決められるのは自分以外にいませんし、
自分の幸せを明確にしておく事は、なんだかよくわからない不安を軽減できるので結構大事な事だと思うのです。
めちゃくちゃ忙しくても幸せな人
とある起業家は、年間一億くらいの収入があるようですが、それこそ朝から晩まで働き、常に様々な期限に追われ、常にプレッシャーの日々の中にいるそうです。
長距離の移動もしょっちゅうのようです。
休みが全く無く、自分の時間など当然のごとくありません。
休みがないので、お金を使うタイミングもほぼないそうで、持て余してしまっているそうです。
(ただ持て余しておいても仕方ないため、エンジェル投資家としても活動してるようです。)
それでもこの方は、「自分の使命を果たしている!」と実感しているため、とても充実した人生を送っているようです。
自己成長に幸せを感じる人
次の例です。
現実的にはあり得ないことなのかもしれませんが、工場のライン生産のような超単純作業で年収1000万。
求人が殺到する事間違いなしですが、それでも「いくら収入が良くても、やりがいが感じられず、自分の成長にならない仕事はやりたくない」と考える人も居ます。
そういう人にとっては、仕事を通じて自己成長を感じる人生が幸せなのです。
遊びが仕事になっている人
また、ホリエモンのように、遊びを仕事にしてしまう人も居ます。
こういう人は、ただ単に面白くてやっていることが仕事になっている、という思考なので、選択肢に「仕事をしない」がありません。
休みの日とか仕事の日とかの概念も無いようです。
今後はこういう方が非常に強いし、世の中から求められるのではないでしょうか。
幸せの価値観は、一つではない。
さて、ちょっと極端な例が続きましたがこうしていくつかのパターンをイメージしてみてどうでしょうか。
収入の多さを選ばなかった人もいらっしゃるのではないでしょうか。
僕は、幸せの形は人それぞれだし、人それぞれで良いと思います。
そもそも幸せを比べてしまうと、自分一人が苦しくなって、本当は幸せなのに幸せではないと勘違いしてしまう恐れも多分にあります。
当然、生きていくにはお金が必要ですし、無いよりはあった方が良いです。
ただ、幸せの尺度は収入の多さだけでは測れないはずです。
また、富や名声を幸せの基準にし、
” あの人は幸せそうだ。だから自分もそうなりたい “
と考えるのは、非常に物事を表面でしか捉えられていないように思えます。
あなたは、本当にホリエモンのように生きてたくさんの収入を得られたら、幸せになれそうですか?
例に出した起業家の方と同じプレッシャーを受けながら仕事をしていき、大金を手にすることに幸せを見出せそうですか?
僕は嫌です笑
身も心も持たないでしょう。
先も述べたように、好きな時に好きなだけ働いて、自分や家族、友人との時間を最大化する事が、僕の幸せです。
(ちなみにこうやって文書を書いている時も物凄く楽しいです)
一生懸命、身を粉にして、苦しみに耐えてばかりの人生は嫌です。
普通の会社員である友人の価値観
音楽、楽器が好きな友人はこうツイートしてました。
「出張の帰りに友達とラーメン食べて、ビール飲んで、帰宅してからもまたビール飲んで、風呂入って寝る。スゲー幸せだよね。加えて音楽もめちゃくちゃ楽しめてるんだから言う事ないや。」
すごく幸せそうじゃないですか?
僕もこの人の人生は、とっても豊かだと思います。
自分の幸せは、自分にしか決められない
戦後や高度経済成長期に作られた「幸せのモデル」を追う事は、もはや時代遅れです。
人にはそれぞれに幸せの形があるはずです。
自分の幸せを手にするためには、何をしたら良いのか、何を捨てたら良いのか、一度深く考えてみるのもいいと思うのです。
お金や成功といった表面的なことに囚われず、自分の幸せが何なのか見出せた時、少しは気が楽になるかもしれませんよ。
ここまで読んでくださって、どうもありがとうございました!
